2010/11/04

ぼぼ日より。
糸井さんて、ほんまになんとも言えない感情を、みごとに言葉にしてくれる。


・大人になってから、
 大人としてやるべきことを、
 しっかりやることは、
 大人の快感かもしれない。
 
 ただ、それは、
 子どものじぶんを静かにさせて、
 しっかりやったということではないのかな。
 静かにさせられた子どものじぶんは、
 押し入れの中で、うらみがましい目で、
 大人のじぶんを見ているかもしれない。

 断言してみたい。
 じぶんとは、子どものじぶんである。
 大人のじぶんは、じぶんがつくったじぶんである。
 つくったじぶんよりも、
 じぶんのほうが、よっぽどじぶんのはずで。
 押し入れに閉じこめられても、
 さるぐつわをかまされて黙らされても、
 そいつは生きて足をばたばたさせている。

 よし、言おう。
 言ってしまおう。
 人間とは、子どものことである。

・ぼくは、いろんな大人たちのことを理解するために、
 彼らひとりひとりを、
 想像上の中学の教室のなかに置いてみます。
 そうすると、いるんです、中学生の彼や彼女が。
 理屈の得意なおじさんは、
 口を尖らせて大声を出して笑われているやつだったり、
 気取った女性は、見栄っ張りのおませさんだったり、
 なんか中学生の姿で見えてくるんです。
 いいやつもいるけれど、たいていは、
 たいしたやつじゃありません。
 むろん、じぶんも含めて、たいしたもんじゃない。
 たいしたことない中学生が、武器や飾りを身につけて、
 ちょいとえらそうにしてるだけです。
 笑っちゃいます、よくがんばってるんです、それだけ。

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武器とかかっこつけとか、ぜんぶ無しでいたい自分と、あれもこれもって着飾る自分と。

どっちがいいとかではないけど、後悔はないようにしたい。

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